海外
September 26, 2007
シェムリアップ 最終話です
さて、ヤンさん前回の話では少し失敗しましたが、それをカバーするに十分なこともしてもらいました。
私たちはその日の夜にカンボジアの伝統的な踊り(アプサラの舞)を見に行くことを決めました。ディナーショー形式なので予約が必要でした。彼が携帯電話を持っていることを確認した私の相棒はかれに予約を入れてくれないか、と頼み、かれは快く引き受けてくれました。
昼食後ほどなくして再び遺跡めぐりです。その日の最後の遺跡からは日の入りを見る予定でした。遺跡は山頂にある為に日没を見るには絶好のポイントとなっており、多くの観光客が頂上目指して山を登っていきます。中には歩く代わりにゾウに乗って山頂を目指す人々もいました。
山頂の遺跡に着いたのは4時半頃でした。まだまだ日は高かったですが、人の数はなかなかのものでした。日没直前に行ったのでは場所確保が難しいとみな知っていたのでしょう。西側を確保して人々はしばしの間、歓談で時を潰していました。私たちも地べたに座って相棒はビールを飲み始めました。私は仕方ないので水で我慢です。遺跡からはかなり遠くまで見渡せました。遠くに広がる湖もはっきりと見えました。残念だったのは地平線近くには厚い雲が一帯を覆いつくしており、とても日の入りを見れそうにはなかったことです。そうと分かってはいてもやはりしばらくの間はそこで待ち続けました。もちろん日の入りは見れないと分かってはいましたが... 何かの間違いで雲が晴れたりするかもしれないとほんのチョッピリ期待しましたが、あえなく日が沈む前に私たちは山を下りました。山を下る最中、続々と山頂を目指す一行とすれ違いながら...
私 「日没は見れませんでしたよ」
ヤン「残念でしたね」「予約した店に今から行きますか?」
相棒「お願いします」
私たちは会場に向かいました。ヤンさんとの契約は日没まででした。私たちが会場に着くとすぐさまヤンさんは駐車場のスペースを指差し、
ヤン「私はここで待ってますね。」
と、涼しい笑顔で言いました。
〜〜〜あれ?普通はここでお別れになって、今日の料金の清算して明日はどうする?、って来るんじゃないの?〜〜〜〜
彼は全く帰る素振りは見せませんでした。楽しんできてください、と言いにっこり笑いました。
会場に入り、席に着きました。食事はビュッフェ形式なのでおのおの好きなものを運んできて食べ始めました。
私「けどさあ、ヤンさん、帰るっていうと思ってたのに一言もそんなそぶり見せなかったね」
相棒「私もあれ?っておもった。けどまだ分からないよ。長くいたからextra money ね、なんてパターンかもしれないし」
相変わらずの疑り深さを相棒は爆発させて、私は苦笑していましたが、相棒がそう言うのも分かる気がしました。3カ国ほど一緒に回りましたが、とにかく今まではいつもそんなパターンでガッカリすることばかりだったのです。
私 「ねえ、あしたどうするつもり? 彼でいいんじゃないの?」
相棒「もし彼がextra money って言わなかったら明日も彼に頼んでもいいよ。昼のことは忘れてあげる。」
私 「明日も仕事もらえる気満々だもんね。私は彼だったら文句ないよ」
私たちが会場に着いたのは5時半。ショーは7時から始まり、約1時間ありました。ヤンさんは都合2時間半余分に仕事をしてくれて私たちを無事ホテルまで帰してくれました。
ヤン 「明日はどうしましょう?」
彼が切り出してきました。私も相棒と目を合わせました。無論彼でOKでした。
相棒「何箇所か回るところがありますが、明日は10時頃から出発しようと思ってます。明日はいくらくらいで引き受けてくれるのですか?」
ヤン「それは行くところによりますけど、詳しい話は明日にしましょう。目的地を聞いてから値段を決めるということで」
私 「今日の分は今払いましょうか?」
ヤン「それも明日の料金と一緒に渡してくれればいいですよ」
私たちを信用してくれていたのでしょう。彼は、それでは明日の10時に、といって帰っていきました。
そして次の日、タクシーの中でどこを回るか話を詰めました。ヤンさんは私たちがこうしたいと一応のプランを話すと、それでは時間が余りそうだから、北部に綺麗な湖があるのでそこに行かないか、と誘ってきました。その湖ではボートに乗って一回りできる、との事でした。
Yung " I show you this plan , but whether you go or not is up to you."
かれは、up to you という言葉をここで5回くらい使っていました。完全に相棒の扱い方をつかんだ様に見えました。合格です! しかし、時間が2時間くらいかかるということなので予定が押すこともあり、今回は見送ることにしました。
ロリュオス遺跡を3箇所見て回り、中心街に戻りました。ここでいったん彼と別れた後、5時半に待ち合わせをしました。 昼ごはんを食べ、買い物をし、少しネットカフェでブログをチェックした後、時間になりました。
待ち合わせの場所に向かって歩いていると、向こうのほうからヤンさんのタクシーがやってきました。助手席にはきれいな女の人と2歳位の子供が乗っていました。
ヤン 「私は2ヵ月後にこの人と結婚する予定なんです。」
彼は独身と言っていたので最初は驚きました。なぜ彼が彼女を連れてきたのかは分かりません。紹介したかったのでしょうか? それとも、私たちを空港に送った後に食事でも行く予定だったのでしょうか? 少し謎です(笑)
空港に着くと2日間の料金と私たち2人からのチップを渡しました。リエルが大分たまっていたので丁度良かったのです。
また、別れ際に彼に握手を求めて近寄っていたのですが、予想とは違う私の動きに戸惑ったせいか、彼は後ずさりしました。(そんなに後ずさりせんでもいいやん)
私の手の中のものに気づいてくれたようで、ちゃんと握手してくれました。おまけに今度来るときは、とメールアドレスと電話番号を書いた紙をくれました。彼と色々話したいことを考えていたのですが私は一言だけ言うのが精一杯でした。ダメですね、二度と会えないかも知れないのに、いいたいことはちゃんと言葉で伝えないと。けれども、なんだか別れ惜しくなって、うまく言葉が出てきませんでした。セリフはもう完全に決まっていたのにね。
彼のおかげでカンボジアの旅行は大変いいものになりました。いつも私たちを騙そうとする人々に嫌気が差して、もうだいたいそんなものだろう、と高を括り始めたところに、ヤンさんのように貧しい環境の中でも健全に誠意を持って対応してくれる人にあえて本当にいい思い出だけが残りました。いつもお土産や宝石店、法外なレストランに無理やり寄らされたり、知らないところの乗り物に乗らないか、と連れて行かれたり、もううんざり、という気持ちと、コレも文化の一つ、という割り切りとが交錯していましたが、新たな世界で誠意あるものが成長してきてる息吹を感じて本当に嬉しかったです。
カンボジア行くなら是非若いうちに行くのがいいでしょう。一つは遺跡に上ろうと思ったら体力がある程度ないと無理だということと、もう一つはあのような環境は若いうちに目にしたほうがいいということです。
ちなみに私はカンボジア旅行のあとバンコクに着いてからずっと腰が痛くて悩まされています。いやはや日ごろの運動不足がたたって、あの程度で腰痛とは情けないです。もう年か? バンコクについてからタイの古式マッサージを2時間受けたことは言うまでもありません。腰が痛くなくても行っていたとは思いますが、なはは
脳だけでなく体も鍛えんといかんいかん! ビリーでも頑張りますか
ありがと
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9月25日の学習
L/R 90/120 3h 30min total 5h
September 25, 2007
土産話の続きです。
翌朝、彼は時間通りに来ました。いえ、時間より大分前に来ていたと思います。彼は一度として私たちを待たせることはしませんでした。
ヤン 「おはようございます。よく眠れましたか?」
彼のさわやかな笑顔が今でも思い出されます。
助手席には大きなクーラーボックスが見えました。約束どおり氷でいっぱい満たされたクーラーボックスに水とビールを買ってきていたのです。(ビールは悪友専用ね。あたしはアルコールにメチャ弱かったりする) 日の出はアンコールワットから見ました。うっすらと紫がかった空が次第に明るくなり、私たちがアンコールワットに着く頃には辺りがだんだん金色の光を放ちだしました。当地に着いたときには既に多くの観光客が日が昇るのを今か今かと待っていました。
私たちが到着してから15分くらい経った頃でしょうか、アンコールワットの右肩から太陽が見え出しました。空はもう既に十分明るく青い光を放ち始めました。聖なる池から太陽の光が反射し、美しい光景を一層引き立てました。
日の出を見た後アンコールワットの内部に入りました。所々、緑色のシートが被せてあり、その周りを踏み台が組まれていました。1200年代に建てられた遺跡は補修を必要としていたのです。高い塔を持つこの遺跡は上ることが許されています。石が階段状に積み上げられていますが、上るには少々難渋しました。積み上げられた石幅が狭く(15〜20cm程度)、斜面は急でした。標識が立っており、Climing the building at your own risk と書かれていました。過去には転落して頚椎骨折などの重傷者も出てるそうです。
まあ、当然上りましたよ。一番安全そうなところを。朝日が昇り終わった澄み渡る朝に今度は反対側から自分たちが来た道を眺めました。
「うん、どうやらカンボジアまで来たみたいだ」
そのときそう思いました。いつも私は感情はあとからやってきます。気分の起伏がほとんどなくていつも比較的冷静ですが、気持ちの高ぶりもいつも遅くて、余程でないと乗り遅れてしまうんです。反応が比較的遅くてどちらかというと口数は少ないほうだと思います。その私が英語を話せるようになりたいなんて、少し笑っちゃいますけど...
朝日を見終わってから朝ご飯を食べにホテルまで戻りました。それからアンコールトムの遺跡群を10時頃から見て回りました。問題は昼ごはんなんですよ。何がかって? ヤンさんが本当に誠実な人かどうかが問われるのが...
途上国にあるレストランというのはたいてい現地の人はいけないくらい高い値段に設定されています。利用するのはほとんど海外旅行者なのです。
私たち「ところでこの辺でランチを食べるのにいいところはありますか?」
ヤン「食べるところは知っていますが、私は入ったことがないのでいいかどうかは分かりません。仕事でお客さんを連れて行くんですが、そのレストランが良かった、といってくれる人もいればよくなかったって言う人もいますよ」
こんな風に表現したのは彼が初めてでした。極めて全うな意見でした。自分が連れて行くところが気に入ってもらえないかも知れない、なんていう人は今まで皆無だったのです。それというのもたいていはタクシードライバーがレストランにつれて行けば彼らはレストランからキックバックがあるみたいなのです。だから料金はたいてい現地にしては割高になってしまいます。割高感をそんな風に表現したのでしょう。
私たちが入ったレストランも中心部から少し離れて遺跡群に近いところだったために割高といわざるを得ませんでした。私の連れは少し不満そうでした。現地の物価に対して異常に高い料金設定は許しがたいというのです。いつもその辺に不満を持っているのを私はいつも目の当たりにしてきました。わたしはまあ、そんなものだろう、と相変わらずのアバウトさで気にも留めませんでしたが。。。
さて私の相棒からのヤンさんの評価は少し下がったようでした。しかも、次の一面はさらに評価を下げることとなりました。
ヤン「ランチの後はどこに行きたいですか」
相棒「私はAに行きたいのですが」
ヤン「ああ、そこなら明日にしましょう。Aはここから反対方面になるので。今日のところはBとCとDに行ってから、日の入りを見に行くのはどうですか?」
相棒「反対方面っていっても、ここからこのように行けば問題ないんじゃない?」
ヤン「あなたがそういうのなら、そうしましょう」
文章で書いてしまえばどうって事のない会話に見えますが、ちょっとポイントがあるんです。一つは私たちとヤンさんは明日の契約は一切していないこと。もう一つはAという場所が少し離れているからできるだけいきたくない、という気持ちが見え隠れしていることでした。相棒はそのことが非常に気になったみたいですが、私からもあれはマイナスポイントだったな、と思いました。
ガソリンは高価です。WTI原油価格は至上最高値付近で取引されています。カンボジアでも1リットル120円付近であり、税額は日本とほとんど変わらないようでした。(タイは比較的税金は安いようです)彼からすれば、できるだけ車の走行距離は節約したい、というのが本音だったのでしょう。けれども客をもてなす側は時には損をしてでも顧客に満足を提供しなければならないときがあるのが現実でしょう。
まあ、そのことにこだわらなかった彼は賢明でした。すぐに自分の意見を取り下げて顧客に従ったところは良かったと思っています。
ごめんなさい、明日まで引っ張ることにするわ
ありがと
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帰国後から学習時間をつけてみようかしら。
9月24日の学習
L/R 60/30 90分
September 24, 2007
こんばんは! 帰ってきました。
1年ぶりのバンコクは相変わらずの喧騒でごった返していました。
なんだかものすごく懐かしくて涙モノでしたよ。
今回の旅行はアンコールワットがメインだったのですが、私にとってはバンコクの空気に触れることが何よりの刺激になりました。
今回も悪友と2人旅です。私は羽田に飛んだあと合流して、成田に向かいました。少々成田に到着する時間が遅れてチェックインは60分前ぐらいでした。ツアー客が多かったせいか、あとからチェックインした私たちはビジネスクラスへ無償アップグレードの扱いとなりメチャメチャ快適な出だしとなりました。
しかしまあ、私はあまり飛行機に乗る機会は多くはないのですがビジネスクラスって言うのはああもいいものなんですネェ。リクライニングは全く後ろを気にする必要はないし、足を伸ばすスペースがまるで違いました。なんといってもイスがいい!! あんなもの一回経験してしまえば、二度とエコノミーには乗れないか...なんて。正規の値段で搭乗できるくらいにならんとダメだなぁ、ってつくづく思いました。
行きの飛行機の中では映画をずっと見ていました。日本語字幕がない映画で面白そうなのを選んだら自然と「You've got mail」になってしまいました。(近いうちに見ようと思ってたので丁度良かったです) この映画わたしは以前に見たと思っていたのですが、全てが記憶にありませんでした(笑) あれ?私が見たのは「めぐり逢えたら」の方だったのか? と悩んでしまいました。 結局行き帰りあわせてで4回くらい見ました。毎回聞こえてくる情報が多くなってくるんですよね(笑) そして、内容の詳細がどんどん分かってきます。そのうち、これくらいの内容を1度で把握できるようにならねば、と心に誓いました。
タイの新空港スワンナプームからは約30分でバンコクに到着します。以前のような渋滞は高速道路が異常に混まなければスムースになったと思います。ホテルに到着し、荷物を部屋に置き、私たちはすぐさま街へ繰り出しました。1年前、例の彼女と食事を共にしたカフェを目の前にして、時の流れを感じ今の自分を思い、これからもっともっと前に進んで行きたいと強く思いました。この場所が与えてくれたものは確かに今でも私の心の中で大きく存在していました。
翌日シェムリアップに向かいました。空路で約1時間。この短い時間で機内食も出るため、上昇して安定飛行に入ったら食事して、入国許可証を書いていたら、もうすぐに下降し始める、とせわしない機内でした。シェムリアップ空港からホテルまではタクシーを利用しました。空港にはタクシーの乗車チケットを売るカウンターがありました。
この、タクシーチケットを売るカウンターを見ると必ず私は警戒感が増してくるのです。と、いうのも6年前インドに行ったときに、正規のタクシーを利用したのにも関わらず、タクシーは目的地に行くどころか無理やり旅行代理店に連れて行き、しかも事前入手したツアー代金よりも倍以上の値段を吹っかけてきたのです。あまりにもしつこく、タクシーも代理店と契約するまで目的地までつれていく気はないらしく、そこから逃げるように飛び出して結局3キロほど歩いて目的のホテルに向かったのを今でも思い出すのです。
さて、今回はどうなることやら、例の悪友も私も旅慣れたせいか何でも来い!です。ホテルに着くまでの間に運転手は英語で話しかけてきました。
運転手「ところで、もう明日からの観光の移動手段は決まってるのですか?」
私たち「いえ、まだですけど」
運転手「もし良かったら、私に仕事をくれませんか?」
私たち「明日はアンコールワットとアンコールトム周辺を見る予定ですが、それだといくらぐらいで引き受けてくれますか?」
運転手「それなら、25ドルでいかがでしょう?」
私は驚きました。何に驚いたのか? 運転手の提示する料金が全うだったからです。 いつものパターンだとここでたいてい大きな金額を吹っかけてくるものなのです。だいたい40ドルか50ドルくらいを予想していました。そこから交渉して30ドル付近で落ち着くものと思っていました。
私たち「明日は是非とも日の出を見たいのですが、それでも25ドルでいいのですか?」
運転手「それだと、5ドル追加して30ドルでどうでしょう?朝随分と早く起きなければなりませんからね。日の出から日没で30ドルですが、どうでしょう?」
この値段にも問題ないと思われました。通常なら、日の出から日の入りで40〜50$くらいは当たり前に思えました。それが相場だったのです!
私たち「では、お願いします。明日は何時にホテルに迎えに来てくれますか?」
運転手「有難うございます。5時半に迎えに行けば日の出に間に合うと思います。私の名前はyung(ヤン)です。宜しくお願いします。あ、それと露店の水は高いので私が水を買ってきましょう。これはわたしからのプレゼントです。」
彼は非常に誠実でした。まともに交渉してきたのです。私たちは数カ国を共にしてきましたが、最初から妥当な値段を提示する人はほとんどいませんでした。日本人は総じてカモなのです。事前に相場を調べて行かないか、相場を知っていても相手に折れてしまう、そんなケースが後を立たないのでしょう。けれども、彼は違いました。彼は単価を上げるよりも、誠実に対応することで多くのビジネスチャンスを得ることのほうが大事だと知っていたのかもしれません。
長くなったのでいったんアップです。
ありがと
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遊んだぶん、頑張らなきゃ!
September 18, 2007
ども、です
明日からカンボジアにいってきます。アンコールワット@シェムリアップです。
中継地はバンコクです。
ちょいと、去年の話でも。
ちょうど一年前、バンコクでクーデターが起こったその日がタイ旅行の出発日だった。その日の早朝にタイでクーデターがあったことを知り、旅行が出来る状態か不安でたまらずに空港へ向かった。
通常ならクーデターがあるようなところへ出かけるようなことはしない。しかしながら、そのときは特別な事情があった。私の友人(高校時代からの悪友)が2日前から当地へ既に乗り込んでいたのだ。後からやってくると思っているのに悪友を見捨てて行かないわけには行かず、いざ空港へもう一人の別の悪友と共に...
空港へ到着し、旅行会社からチケットを貰った。その旅行会社の説明では、詳細はよく分からないがバンコク市内は比較的落ち着いており、午後からのオプションツアーは通常通り行う予定だ、との事だった。外務省からは渡航延期を考慮してくださいとの警告があったようで、旅行会社としても今回は特別な事情なのでツアーをキャンセルしても全額返金に応じる、とのことだった。
なんせ、情報が少ない。クーデターが発生してから12時間程度しか経っていなかった。とりあえず、友人が宿泊しているホテルへ連絡 (マンダリンホテルだったのですが、先日火災で報道されてましたねスプリンクラーが設置されてなかったとか...)。 ホテルの受付につたない英語で友人の部屋につないでもらうように言った。(通じてるかかなり不安になりながら) しかし、部屋につないでもらっても奴は出ず。
何でこんなときに電話に出やがらないんだよ!!ったく!!
渡航の是非を決断するのに重要な電話に奴は出ない。しかも、あと決断までに30分程度しかなかった。2人で話し合った結果、とりあえず行くこと決めた。一番大きな決め手は、オプショナルツアーが午後から行われている、との情報だった。 いざ、バンコクへ
バンコクに到着すると空港は特に変わった様子はなかった。軍人が銃を持って警戒体制をとっているかもしれないと思っていたのだ。しかし、至って平穏な空気。本当にクーデターなんか起こっているのだろうか?
ドンムアン空港からバンコク市内は夕方のラッシュアワーでは1時間程度かかるそうだが、その日は半分の30分程度で目的のホテルに着いた。ホテル到着後悪友の安否を確認するためフロントに問い合わせたがあいにく奴は外出中のこと。
にゃろう! こっちの気も知らないで! 生きてることだけは確かだな
ホテルのチェックインの手続きをしてしばらくすると奴が偶然にも現れた。汗だくだ。こちらを見るなり涼しい顔をして、
おお、来たね。 外は落ち着いたものだよ。
だって。あんたの汗だく姿見れば、丸腰で外ほっつき歩いても問題ないことぐらい分かるってば!ホント、呑気なんだから。
私たちが電話したときはちょうど優雅に朝食を頂いてる最中だったとか。そういえば電話したのは日本時間で午前10時30分頃。タイでは2時間の時差なので8時半。ちょうどお腹が空く頃...って、納得いくか
というわけでクーデターは軍部が国王にタクシン政権の解除を求め、国王はコレをすぐに承認したため流血なしのクーデターに終わり、ドンパチ激しい抗争は起きなかった。バンコクでは夜間外出を控えるように言われたが、それほど大きな影響はなかった。
タイでは国民はみな国王を慕っていて、国王の決断にはほとんど従うようだ。今回も国王の承認がすぐ得られたために騒動は限定的だったのだろう。街中で戦車を見ることはあったが...
タクシン前首相自体、既に国外逃亡済みだったので、混乱は避けられたようだ。
なぜこうしてまで去年のことを書いているかというと、タイこそ私が英語学習を再開するきっかけを与えてくれた場所だからだ。
タイ観光もほとんど済んだ最終日、ひょんなことからタイ人の女性と一緒に食事をする機会があった。彼女は英語がペラペラだった。
なぜそんなに英語がうまいのか聞くと、どうやら彼女の姉がシンガポールにいて小さい頃からしばらくシンガポールにいた時期があったとの事だった。両親の都合で転々と移り住み、英語を学ぶ機会もそれなりにあったようだ。また、大阪に一時期住んでいたともいっていた。
当時の私は彼女の言うことが7割程度しか分からなかった。会話はほとんど彼女がして、私はそれに相槌を打つ程度であった。最初はお互いの興味もあってか、話は弾んだが、次第に彼女も自分ばかり話していることに気づいた。
「ところであなた、日本ではなにしてるの?」
”○○○○だよ”
「え? 本当に?私の知り合いの日本人で○○○○やってる人とも話したけれど、あなたより英語うまかったわ。あなたはもっと英語の勉強が必要ね」
もう、気分は最悪だ。 そんなことは英語ペラペラのあなたに言われなくても分かってるってば! おまけに同業者の日本人と比較されるなんて。。。
いや、薄々は気づいていた。もっとしっかり英語を学びなおさなければいけないことを。それを彼女が天真爛漫な性格ゆえにぺろりと吐き出してしまっただけのこと。うん、タイ人の陽気さは完璧なのだ。彼女が悪いのではないこともよく分かっていた。
もう、こうなったら一念発起!とにかく英語をやらねばならぬのだ。ここまで逃げて逃げて逃げまくって通常業務で英語を使わなければいけないのにずっとずっとサボってきた。英語を読んでいるだけで学ぶという真剣さが全然足りてなかった。よし、分かった。クーデターあったのにも関わらずタイまで来て、彼女に偶然に会って、私の英語力がまるで使い物にならないことを教えてくれたのだ。もう、私の心もクーデター。変えていくっきゃないじゃない!!
そう、このときからちょぼちょぼと英語学習を再開し、そして6月にjoさんのブログとであったのです。頑張れば感動。 真摯な気持ちと毎日の鍛錬でしか自分の目指すところにはたどり着かない!
今回、また自分の気持ちを確かめにバンコクに行ってきます。もう、あれから1年たってしまったのだ!また大事な何かを見つけられればと思っています。
ありがと
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